塾なし高校受験〜うちの田舎メソッド〜

2025年高校受験予定の中3息子、ポン助は中学受験残念組。進学塾も高校も無い町から1校のみの挑戦。しかしあと数問程度力及ばず、地元の公立中に進んだ。中学受験の内容も知らずに、事ある毎にネタにして馬鹿にする奴も居る。でも「楽しかった。僕は挑戦する事を止めない。」そう言い切った。常に仲間と明るく楽しく、全力で駆け抜ける田舎の中学生男子の日常。

中2・第5回道コン前夜

合宿に出掛けたり

地元で朝から営業修了まで

スキー場で過ごしたり

帰宅後は時間の許す限り勉強したり

1年で1番忙しい冬。

 

3歳からスキーデビューしたが

雪遊びの延長と言った感覚だった。

 

自宅が市街地区から遠く

保育園や学校の友達と

簡単に遊べなかったポン助。

しかし

冬は地元のスキー場に居れば

同世代の子達が来るので

それを楽しみに

私が休みの日には

1日中スキー場に居た。

友達が来なくても

いつも近所の従姉が

一緒にスキー場に行っていたので

二人でずっと滑っていた。

 

そのうち

ハの字で滑りながら

雪合戦をしたり

競争をしながら滑ったり

皆が怖がる急斜面に挑戦したり

遊びながら自然に

スキーは上達して行った。

リフトの乗降も

慣れるまでは

係の方に頼んで徐行して貰っていたが

何度も乗っているうちに

スムーズになった。

 

私は見守りで

いつもポン助の後ろを

のんびり滑っていたが

年長くらいから

追い掛けるのが大変だった(笑)

この頃から

地元のスキーチームの

上手なお兄さんやお姉さん達に

憧れを抱くようになり

真似をして急斜面ばかり滑る様になった。

 

先輩達がポール練習している

隣の急斜面を

小さなポン助が真似をして

元気に滑るので

アルペンチームの指導者達が

ポールの空いたタイミングで

ポン助を呼んでくれて

滑らせて貰ったりした。

 

地元のスキー大会デビューは

年長の時に果たしており

以降毎年出場して来た。

 

しかし体が弱く

疲れると直ぐに

喘息発作を起こすので

本格的にチームに入団するのは

暫く見送っていた。

 

小学校に上がると

皆より滑れるので自信になり

更に楽しくなって

スキーのバッジテストに挑戦開始。

2年生でジュニア1級と

級別3級を取得し

3年生からアルペンチームに入団。

発作を起こさない程度に

無理せず練習しながら

可能な範囲で大会に参加して来た。

 

夏はサッカー

冬はスキーをやりながら

少しずつ体力も付いて来たが

やはり無理は出来ず

通院して定期薬を飲みながら

細々と続けて来た。

小6でスキー級別1級取得し

検定挑戦は一旦修了。

 

中学からはもう

体力的にサッカーは無理と判断し

夏は卓球

冬はスキーと掛け持ちして

現在に至る。

 

勉強とも何とか両立して

成績はそれなりに維持している。

 

最近は色々な人に

「ポン助君、何処の高校に行くの?」

と聞かれるが

まだ漠然としており

候補は沢山あるが

確定はしていないので

その様に話している。

 

まあ

何処に行っても

「知りたがり」は存在する。

私にも聞けず

ポン助もはっきり言わないので

知り合いや身内を使って

主人に聞いて来た人まで居た。

 

あれこれ言えば

一瞬で拡散されるので

身内にも最後まで言わないつもりだ。

 

しかし

他人の子の進路を探って

何のメリットがあるのだろう。

聞いて誰に言いたいのだろう。

情報通アピールでもしたいのだろうか?

私は自分の子だけで精一杯なので

他人の子が何処の高校に行こうが

特に興味は無く

あちこち探りを入れてまで

知りたいとは思わない。

 

落ちたらまた

好き放題拡散したり

嘲笑い馬鹿にする人に限って

根掘り葉掘り知りたがる。

 

中学受験の時の教訓があるので

もう誰にも言わず信用しない。

 

ポン助とは

例え仲の良い友達にも

受験が全て終わり

入学する高校が決まるまで

絶対に言わない様にと話してある。

 

 

とりあえず明日からは

道コン受験からの

中体連遠征なので

大忙しのポン助。

 

勉強スイッチとスキースイッチ

上手く切り替えて

両方とも全力で楽しもう!!

 

頑張れポン助!

応援しているからね♪